メサイアを聞く
バッハ・コレギウム・ジャパンのメサイアを聴きにサントリーホールに行ってきた。
ピリオド演奏ということで弦はビブラートを付けず、ティンパニーやトランペットもこれまで聞き慣れたのと違う音色。ヘンデルが活躍していた当時にもこういう音が鳴っていたのかな、と思うと新鮮な気持ちで接することができた。
今日の演奏はプロとして高い水準の演奏だったから、「いつへまするか」とびくびくすることは全くなく安心して聴くことができた。しかし感動という面では話は別で、正直なところ数ヶ月前に子供の鼓笛隊の練習を聞いたときのほうが、鳥肌の立つような感動をすることができたのである。今日の演奏は速いテンポで、淀みなく流れに流れている演奏だった。高い水準で余裕を持って演奏しており、様式感は強く感じたものの、「芸術衝動の発露ってこんなものなのだろうか」と、聴いていて考え込んでしまったのだ。破綻なく様式美を追求した答えがこれであるなら、結果として技術に溺れてしまったことにならないだろうか。何か人間味に欠けているんだよなー。極論すれば機械的というか。指揮者は合唱を楽器のように鳴らそうとしたのではないか。合唱は確かに正確に演奏をしていたが、歌っているようには聞こえなかった。
座った席が悪かったのかもしれない。何しろ舞台の袖の、演奏者が出入りする口の上の席なのである。合唱隊は指揮者を囲むようにオケの後ろに弧を描いて並んでいたのだが、私の席はそのソプラノパートを右後ろから眺めるような位置であった。これと指揮者近くで歌う独唱者に関しては、こちらから歌うお口が見えない位置なのである。歌う人が聴衆に背を向ける位置で指揮者を見ながら歌っていたらどう聞こえるか想像してみて欲しい。歌う人は口の向く方向に向けて声を投げ掛けているのである。
ホールは残響が良く、メロディーが聞こえない訳ではなかったのだが、聞こえてくるのは言わば上澄みであり、これはソプラノよりもっとまともに後ろ向きで演奏していたトランペットにも当て嵌まる現象だった。「見る」席ではあり得ても「聴く」席ではない。こんな席がB席で6000円とはおかしいのではないか。学生席とか立見席にするような位置ではないのか。これは教会でコーラスが二階で歌うのとは別の次元の問題だ。
というような訳で、20分の休憩を挟んでの3時間は長かった。後半は退屈さえ感じて家路についたのであった。
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