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2010年9月

2010年9月30日 (木)

宮尾登美子 「仁淀川」

「櫂」「春燈」「朱夏」と続いてきた宮尾登美子の自伝的小説のあとに続く物語だった。満州から家族命からがらで引き上げてきた「綾子」一家は、夫の実家で新しい生活を始めるが、異国の地からあこがれ描いたようには行かなかった。生活に苦闘する主人公の心の支えになったのは自らの父、母であった。

読み終わったあと、映画で良い文芸大作を見終わったあとのような、何とも言いがたい気持ちにさせられ、その気分が2~3時間は持続した。作品の世界にその間浸っていたのである。「ああ~、綾子の物語が終わってしまったか。綾子のそれからあとのことをもっと知りたいな。」と思った。作者の人生に置き換えれば、この「仁淀川」に書かれた時代から作家デビューするまでのヒストリーを知りたい、だから「仁淀川」の続編を読みたいと感じたのである。まだ存命中の人物が大勢関わる事柄であるので書くのは難しいのだろうか、まだ続編が出たと言う話を聞かない。

この小説だけで考えると、終わり方が少しおかしいのではないかとも思った。最後の数十ページは肝心の出来事をすっ飛ばしていると感じられるからだ。何か事情があって執筆を続けられなくなったのではないか、或いは予定の枚数を超えてしまい書けなくなったのか、私には分からないが不満の残る終わり方だった。

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2010年9月26日 (日)

宮尾登美子 「朱夏」

図書館で借りた文庫本上下2冊で読んだ。

著者の自伝的小説4部作の第3部に当たり、主人公が終戦前に夫、赤子とともに渡った満州で終戦を迎え、あるときは死の危険にさらされながら、すさまじい生活を経て帰国できるまでの生活が描かれている。この小説を読んで、これまで話には聞いていた満州引揚者の苦難というものがどういうものであったのか、がこれまでより良く理解できたと思いたい。歴史の本を読めば当時どういうことが起きたのかがだいたい分かるにしても、主人公の目を通してその時代を追体験することで、その大変さがより一層理解できたように思う。あのような極限状態での人間模様、それはいざとなった時の人間の逞しさでもあり浅ましさでもあるのだが、そういう体験をしたからこそ見えてくる人のありようというものに、つくずく考えさせられた。

長い物語であるこの小説、息つく暇もないほどの展開に、時間の経つのも気にならず集中できて、私としては短い時間で読んでしまった。その結果現在は眼精疲労で困った居る。しかし、こうなったからには続編に当たる「仁淀川」も早いところ読みたい、というのが今の心境である。

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2010年9月25日 (土)

9/25 皇居東御苑へ

涼しくなったので皇居東御苑までカメラを持って自転車を走らせた。随分と急に涼しくなったもので、長袖のシャツ一枚では寒いくらいだった。

園内では彼岸花を見ることができた。10925o013  10925o017

10925o008 コウホネも咲いていた。随分と長い間咲くものだと思った。

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2010年9月24日 (金)

アンナ・マグダレーナ・バッハ

副題 資料が語る生涯 

マリーア・ヒューブナー著 伊藤はに子訳 春秋社

「バッハの思い出」という本を昔読んで、その本はバッハの2番目の妻であるアンナ・マグダレーナ・バッハによって書かれたものと思い込んでいたのだが、どうやらその本の著者は別人であるとのこと。アンナ・マグダレーナ・バッハその人についての情報は意外にも殆どなくて、今回読んだこの本は教会などに残る文書資料を基に、彼女の生涯の輪郭を浮き上がらせようと試みている。

実に地味な内容の本で、これを読んだからと言ってアンナ・マグダレーナの人柄とか彼女がJ・S・バッハと築き上げた家庭の雰囲気、エピソードが分かるわけではない。

バッハ研究の一翼を担う研究書として読むのなら大いに参考になるだろう。

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2010年9月22日 (水)

9/22 今日の夕空

東京では観測を始めて以来最多の真夏日数を記録したそうだ。

暑い! しかし明日からはぐっと涼しくなるとの予報なので期待している。

この写真はベランダから佃のリバーシティ大川端方面を撮っている。

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2010年9月21日 (火)

9/21 今日の夕景

暑さがぶり返してまいったけれど、額の汗がカメラに付いてしまうほどでもないので今夕も豊洲公園に繰り出し、日没のひと時を過ごした。

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10921o011 豊洲のこの辺りはIHIのドックがあったところであるが

当時を偲ばせるのはこのクレーンだけだ。ドックを解体している当時その脇を自転車で通過する時、クレーンをひとつ残していることに気付いたのだが、その時にはこういう風に利用するつもりで残しているのだとは全く気付かなかった。

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2010年9月20日 (月)

9/20 入道雲

この時期はもう入道雲を見たくないところだが、秋の雲も一部姿を現していた一方で入道雲がまだ元気に湧いていた。明日、明後日と真夏並みの暑さがぶり返すそうである。

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2010年9月19日 (日)

9/19 今日の夕空

10919o006 豊洲公園にて撮影。

ようやく猛暑が去り、カメラをぶら下げて外に出ようという気持ちに

なった。秋らしい澄んだ夕焼け空とはいかなかったが、それでも

なかなか広がりのある夕景色が見られた。もう一段秋が進めば、快適な撮影を楽しめるようになると思う。

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2010年9月18日 (土)

9/18 今日の夕空

Temp もう少し華やかで秋らしい夕空になっていたのだが、白鳳54連勝が掛かった一番が近くなりまごまごしているうちに終わってしまった。

まだまだ日中の日差しの強さに辟易するけれども、あの猛暑がワンレベル確実に落ち着いたのは嬉しい限りで、朝晩の過ごし易さも大変ありがたく感じております。

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2010年9月17日 (金)

宮尾登美子 「春燈」

朝日新聞社 宮尾登美子全集第二巻

宮尾登美子の自伝的小説四部作の中の、第一作「櫂」に続く時期を描いた作品。

「櫂」を読み終わり、主人公がそのあとどういう人生を送ることになったのか、が気になって読んだ。そういう観点から言うと、「櫂」の主人公の人生にはこの作品であまり変節がなかった。「春燈」での主人公は「櫂」の主人公の娘に設定されており、その幼年時代から成人するまでの期間が描かれていて、それはそれなりに大変面白かった。しかし「櫂」における主人公の驚天動地の半生に比べれば「どこかで聞いたことのあるような」人生であり、「櫂」を上回るような感銘を受けることはなかった。

ウェブで調べてみたところ、この作品での主人公の正念場は四部作の続編に当たる「朱夏」と「仁淀川」に書かれているようなので、そのうちそれらも読んでみることにする。この「春燈」は四部作の一部として、読まないわけには行かない作品なのだろうが、単独にこれだけを読んだとしたらあまり面白い作品ではないかもしれない。

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2010年9月13日 (月)

宮尾登美子 「櫂」

朝日新聞社 宮尾登美子全集第一巻

先日読んだ三浦綾子の「母」と同じ本に「櫂」の第一部が載せられていたので読み、興味を持ったのでこの本を借りて第四部まで読み終えた。主人公の人生における理不尽の連続にはらはらさせられ通しで、読み終えた後は重い長編映画を見終わった時のような、ずしんと身体に残るインパクトがあった。まさに波乱万丈。小説を読むことにより自分とは違う人生を体感できるのは読書の醍醐味の一つだと思うが、それこそ目の回るような、気が遠くなるような主人公の人生を感じさせてもらえた。

ただし文体が重かった。それに加え一つひとつの文章が長く、読み進むのがかなり大変だった。まるで、現代語訳で垣間見た源氏物語のセンテンスのように感じながら読んだ。読む人によってはかなりの障害になるだろう。

また、まだまだ続きそうな筋書きなのでネットで調べたところ、続編に当たる作品もあるようである。「櫂」を読むのに相当時間がかかったので、続けて読む気にはなれないが、後日読みたい本が増えて嬉しく思う。

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2010年9月11日 (土)

定年後 - 豊かに生きるための知恵

加藤仁著 岩波新書

全編にわたり老後の生活設計に成功した例、それに比べると少ない例だが、失敗した例が紹介されていた。次から次へと著者が取材した「定年後」が並べ立てられるのだが、紹介がいずれも短く、その例が取り上げられた意味が文脈の中でどういう位置を占めるのか、が読んでいて分からなくなってしまうことがたびたびあった。その部分、部分を読んでいる分には分かり易いのだが、そのチャプターで何を言おうとしているのかが頭に入ってこなかった。

さてこの本は私が捜し求める「定年後」を提示してくれたか、と言うと、答は否であった。

概ねの例が、試行錯誤の末にそれぞれの住むべき場所にたどり着いているのだが、私が「この道なら面白そうだ。」と思う例には巡り会えなかった。どれもこれも参考にして真似てみようと思えなかった。これだけ多くの例を挙げていただいたのに自分の方向性の参考になるなりそうなのがなかった、と言うことは、逆に考えると、自分にやりたいことがありそうもない、ということを暗示しているのかな、とも思えてきて、少なからず落胆させられた。

楽しくはないけれども、お迎えが来るまでは我慢して待つしかないのかな、と、これまでの考えが一層強固になったように感じる。

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2010年9月 7日 (火)

宮尾登美子 「卯の花くたし」

これを読む前に同じ作家の「連」を読んだが全然面白くなかったので、あまり期待しないで読んだところ、大変ドラマチックなストーリーの小品だった。読み終わって、えぇ~っと声を上げてしまいそうな、陥穽に突き落とされてしまうような気持ちにさせられた。

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三浦綾子 「母」

小林多喜二の母が自分の人生を語る形で多喜二のことを詳しく書いてある。

何ヶ月前だったか、NHKの番組で小林多喜二を取り上げていたが、その番組の進行とこの小説の話の進み方が良く似ていたので、番組製作者はかなりの部分をこの小説を参考にしたのではないかと感じた。

ぐいぐい話に引き込まれ、大した時間もかからずに読み終えることができた。まことに貧困と言うのは恐ろしい状態なんだと痛感させられた。

ただ、話としてはこれでもう終わりだろう、と思ったあとに主人公であるお母さんがキリスト教に誘われ接近していく話が続いていて、この部分は作品として余分なのではないかと感じた。著者がプロテスタントの作家であることによるのだろうが、少なくとも私はこれを読んでも信心に繋がるような気持ちを持つことはなかったし、むしろしらけてしまった。ここの部分は教会でした方が適当なのではないだろうか。

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2010年9月 3日 (金)

9/3 今日の夕空

Temp 今日の夕空はうろこ雲が夕日に染められて見応えがあった。

出先から帰宅する道すがら夕焼け空を楽しんだのだがカメラを持っていなかった。帰宅して慌ててベランダに出て撮れたのがこの写真。

気温は全く猛暑のままなのだが、雲だけでも秋の雲が出てくれたのは嬉しい兆候。残念ながら週間予報ではあと一週間は猛暑が続くとのことで、秋は兆候のみにとどまりそうだ。

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2010年9月 2日 (木)

差別と日本人

野中広務、辛淑玉著 角川oneテーマ21

本屋で「何で野中広務がこういう本を書いているのかな」と不思議に思い、立ち読みしてみたら大体の事情が分かった。恥ずかしながらあまり知らなかった野中広務について勉強できるチャンスだし、そもそもの部落差別の始まりについて知ることができるのかという期待もあって購入した。

読んでみると、基本は野中広務と辛淑玉による対談の本だった。私の興味は野中広務のこれまでの人生と考え方にあったのだが、野中さんはこの本でもあまり雄弁に人生を語ってはいない。むしろぼそぼそっと辛淑玉の問い掛けに答える程度だし、彼のこれまでの取り組み方も、「我が身を正して余計なほころびを晒さない」やり方で攻撃的なところが見受けられなかった。そういう彼の姿勢は良く分かったと思う。しかし、二人の対談を少し掲載すると辛淑玉がその5倍・10倍くらいの量の解説を付けて、彼女の方向性・運動を宣伝しており、野中広務について興味があった私には、その解説部分を通過するのが苦痛に感じられるほどであった。辛淑玉の本、辛淑玉のプロパガンダ、という感じの本で、そのだしに野中広務が使われている、というような感じだ。

私が知りたかった差別の歴史的発端、起源についての言及はされていなかった。

と言うようなわけで、野中広務の知られざる一面を知れたことは有意義だったが、本を購入した際に持っていた期待を満たしてくれる本ではなかった。

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