0-1 日本代表、ウズベキスタンに敗れる
W杯3次予選最終戦で日本代表はウズベキスタンに負けた。
ウズベキスタンは強かった。
一番力の差を感じたのはトラッピングの正確さ。
ウズベキスタンは日本のトラッピングが大きくなるのを狙っていた。そして次々に日本のボールを奪取し日本のリズムを出させなかった。
ゴール前の守備力も堅牢だった。
日本にも勝つチャンスはあったと思うが、それと同等に負ける可能性もあったと思う。
今後もますますウズベキスタンの脅威は大きくなるだろう。
W杯3次予選最終戦で日本代表はウズベキスタンに負けた。
ウズベキスタンは強かった。
一番力の差を感じたのはトラッピングの正確さ。
ウズベキスタンは日本のトラッピングが大きくなるのを狙っていた。そして次々に日本のボールを奪取し日本のリズムを出させなかった。
ゴール前の守備力も堅牢だった。
日本にも勝つチャンスはあったと思うが、それと同等に負ける可能性もあったと思う。
今後もますますウズベキスタンの脅威は大きくなるだろう。
2月12日に開通した東京ゲートブリッジの歩道を歩いてきた。登り口の若洲まではクロスバイク。
開通当初は、歩道に上がるのに使うエレベーターの順番を待つのに何十メートルも列ができたそうだが、この日は平日で天候もいまいちだったためか一回待っただけで乗ることができた。健脚の人は併設されている階段で8階の歩道まで上がることも可能。また、9階には眺望を楽しむことのできる展望室もあるので、歩道を歩くのを省略したい人には便利かもしれない。但し眺望はたいしたことないと思う。
歩道から見えるスカイツリーは取り立てて撮りに行く程のことはないと思う。曇りなので富士山も見えなかった。
歩き始めたのは3時半過ぎ。方向としてはお日様に向かって行く時間なのだった。
空港は左前方にある。
なので若洲の入り口に戻るしかないのである。
途中トイレの設備も無いのでそれなりの準備をしておいたほうがいい。
因みに若洲側からここまでひたすら歩いても20分くらい掛かるように思った。
また歩道は道路の西側にのみ設置されており、東側の景色を撮影するのには不適かもしれない。
中央が昇降塔、左が若洲キャンプ場、右は若洲ゴルフ場、背後には左から葛西臨海公園と東京ディズニーリゾートに隣接するホテル群が写っている。
使用カメラはペンタックスK10D、タムロンの18-250mmを装着して撮影した。
このブログ内に2月4日、開通前に開かれたサイクリングイベントの写真もありますので、宜しかったらご参照ください。
基本的には優勝したワールドカップでのなでしこジャパンの戦いを緒戦から決勝までたどる形で、密着取材したなでしこ達の様子を生きいきと再現している。もう一度ワールドカップの興奮を思い出すとともに、なでしこ達の魅力を再確認させてもらった。今回の成果が控え選手の支え、これまで日本女子サッカーの発展に貢献した先輩達の支えを抜きに考えられない、ということも繰り返し書かれている。
当然のように彼女たちが流した涙についても言及されている。私も読んでいて数回涙した。どうも女子の世界に引き込まれてしまったようである。
節分草が咲いているとのブログ情報に接し、ちょっと遠いが立川の昭和記念公園に行ってきた。
西立川門から入り、セツブンソウが咲いている場所まで適当に撮影しながら歩いて行った。広大な公園なので、ひたすら歩いても15分くらいは掛かると思う。
月曜ということもあり園内は閑散としていた。
前回節分草を撮りに来た時には梅が咲いていたのだが、今回は全く咲いていなかった。
これはサザンカだと思う。我が家の近所では見られない色合いの花なので何枚か撮影。
さすがにこの場所は何人かの人だかりができていたがそれでも空いていて、心ゆくまでゆったりと撮影することができた。前回来た時より開花数も多かった。
セツブンソウはつくづく小さな花だと思う。肉眼ではどんな造りの花なのか良く見えないのだが、PC画面で見るとその都度、可愛くも精巧な姿に感心させられる。
砂川門から出ようと歩いているとサンシュユの蕾を見つけた。この花が見頃になる頃には本格的な春になるはずだと思う。
ここも含めなかなかのんびりしたいいところだった。
欲張って東京都薬用植物園にも寄ってみたら、そちらは無情にも休園日であった。
使用カメラは140-600mm相当のズームレンズを付けたオリンパスE-520。広角アングルの撮影にはポケットに入れていったコンデジを使用した。
2012年1月29日の日経朝刊に掲載された、丸山さんの「卑小な人間の偉大なる精神」という文章を読んでおおいに感じるところがあり、図書館に置かれていた講談社文芸文庫の一冊を借りて読んでみた。日常における生と死、堕胎、大金の横領、差別、若き日の性衝動など、のっぴきならぬ場面での描写が核心に迫るものがあった。文章に遊びがなく、日経に書かれた文章に表された作者の意気込みが現れている短篇集だと思った。
かと言って、ほんのりとした情感や人情味あふれる文章にも私は魅力を感じるので、丸山氏がそういう文章を「小説でもなければ文学でもない」と考えているのであれば、私が魅力を感じたのは「文学」ではなく「文芸」と呼ばれるなのかなとも思った。いずれにせよ、息苦しくなるような現実から目を逸らすばかりではいけないのだが、ゆったり心落ち着く精神世界を求めることも大切だと思う。
著者は日経の文章で「文学が書き言葉を存分に駆使した、最も高度で、最も人間的な芸術であるという原点」という表現を用いているが、ここの部分はどうしても解せなかったし、この初期作品集を読んでもピンと来なかった。芸術って一義的には美術、音楽、舞踊?などであって、文学は文学なのではないのか。
「これぞ文学と思える作品を世に問いつづけるしかほかに手だてはない。」と考える氏のその後の作品も読んでみようと思う。
穏やかな天候に誘われ、久しぶりにクロスバイクで白金台の自然教育園に走った。お目当ては当園のサイトで「咲きはじめ」と知らされていたセツブンソウとユキワリイチゲである。ここのユキワリイチゲは柵から遠いところで咲いてるのが多いので、オリンパスE-520に140-600mm相当の望遠ズームを付けて行った。
毎シーズン赤飛びを避けるため暗めに撮っていたのを、今回は輝いている部分を捨て、花の見た目の色合い重視して撮影。それでも中央のほのかな緑を再現するには、RAW現像時にかなり明度を落とさなければならなかった。
実に小さな蕾で、これを撮った時、中央の蕾しか私の目には見えていなかった。自宅のPC画面で「えっ、こんなに幾つも蕾があったの!?」と驚いた次第。
話は変わるが、脇を通った年配のご婦人に「もう少しで花が開くのに残念ですね」と声を掛けたところ、それには答えずいきなり「落ち葉を掛けておかないと発育が進まないのよね」とぶつぶつ言い始め、周りの落ち葉を蕾に掛け始めた。まるで私が写真を撮るのに葉をどかしたとでも言いたげな様子。いたたまれなくなりその場を去ったのだが、ユキワリイチゲを撮って戻ってみるとびっくり。今度はこの蕾を中心に一辺20cmの正方形状に葉がどけられていたのだ。違う考え方の入園者が手を加えたのに違いない。
考え方はいろいろあり得るだろうけども、皆がそうし出したら収拾がつかなくなるのは目に見えている。「草花には手を触れないでください」という規則を守るのがまっとうであり、植物の管理は園の管理者に任せるべきだと思う。もちろん意見があれば園に物申すのは結構なことだと思うが。
でも残念ながらほとんどが日陰で柵から遠くで咲いており、望遠を精一杯伸ばして撮影。恐れたより手ブレは少なく撮れたのでほっとした。
こちらはすぐ足元に咲いており、望遠ズームだと少々下がって撮らざるを得なかった。それでもポケットに入れてあるコンデジのマクロ機能で撮るのより好きな写真になっている。
日の反射が手前では紫、奥では緑に撮れたのが意外だった。こういうのをレンズの色収差というのだろうか。
この日開花していたのはこの一厘だけだった。1cmそこそこの小さな野草で、通りがかりのおじさんが「しょぼいなあ」と言うのも無理はないのだが、大きく撮ってPC画面で見ると俄然精巧で可愛い造りに驚かされる花である。
立花隆著 新潮社
約20年前に出版された本で、「マザーネイチャーズ」というナチュラリスト向け雑誌に連載された対談をまとめた本であるとのこと。この本から大きな影響を受けたという書評を目にして興味を持ち、読んでみた。著者の著作は「臨死体験」や「宇宙からの帰還」、他何冊か読んでおり、テレビでの発言も含め好印象を持っていたので、きっと読み応えがあるだろうとの期待もあった。
対談相手は当時の第一線で活躍していた自然科学者達。著者は対談相手がたじろぐほど専門知識を勉強して対談に臨んでおり、学術的に高度な内容の対談となっている。むしろ、立花氏の質問が高度すぎて、読んでいるほうが付いて行けなくなる、と言った方が正確かもしれない。自らを「好奇心の塊」と呼ぶ氏の探究心を素直に発揮したのだろう。
幾ら第一線の研究者との対談といっても20年の時の経過は大きく、多少古さを感じる分野があったのだが、先端を行く科学者の考え方のプロセスや、発言の際の慎重さの違いを身近に感じることができた。特に面白かったのは植物学の古谷さん、微生物学の服部さんとの対談。その中でも、一グラムの土の中にいるバクテリアの数は四、五十億と、世界の人口に等しいくらいの数だと知りおおいに驚かされた。
2月19日、白金台の自然教育園
福寿草 見頃
節分草 僅かに開花
ユキワリイチゲ 三分咲きくらい
その他 センリョウの実が綺麗
2月20日、立川の昭和記念公園
梅 未開花
ロウバイ 最盛期を過ぎた感じ
福寿草 見頃にさしかかっている
節分草 見頃!
サンシュユ 蕾が割れ始め黄色が少し見えてきている
その他 椿のようなサザンカ、そろそろ終わる
2月21日、木場公園
梅 ようやく開花に弾みがついてきたか
その他 マンサクの開花がまだ見られない
久しぶりに自転車にまたがり、前日に開花宣言が出された梅の様子を見に亀戸方面に向かった。ペンタックスK10Dに155mm相当のマクロレンズを付けて持参。
次に通った仙台堀川親水公園では梅の開花は見られなかった。しかし公園北端から小名木川に突き当たると、以前の汚い堤防の風景が瀟洒な遊歩道に一変していることに驚いた。(no photos)
このあとはたと思い付いて白鬚橋近くのファミレスで休憩し、隅田川を渡り浅草をかすめて帰った。
走行距離26.1km
量販店の店頭で3Dテレビというものを見たことはあるのだが、3Dの映画というのを見たのはこれが初めて。デジタルサラウンドという音響効果も付いており、遅ればせながら当世流行りのエンターテイメントに接したことになるのではないかと思う。
50分というのはずいぶん短い上映時間だなと思って見始めたけれども、正味40分もなかったその終盤はもう、速い動きの映像に目が疲れ果て、ぐったりして館をあとにしたのだった。
音響面ではスペースシャトル打上げ時の音響、3D画像としてはスペースシャトルの宇宙飛行士が撮影した、地球を背景にしてハッブル宇宙望遠鏡の修理作業をする場面の映像が凄かった。打上げ時の音響は物凄い大音量での再生で、スピーカーシステムが全力で鳴るとこういう響きになるものなのか、と感心したものの、実際に打ち上げを近くで観測した人が感じる迫力は違ったのだろうとも思った。3D映像は「宇宙飛行士が撮った映像だ」とテロップに表示されたのでこういう臨場感なのかと感激したのだが、実際に撮影した映像であるのに特撮っぽく見えてしまう面もあると思った。3Dのテクノロジーはまだまだ発展途上なのかもしれない。
実は表題から考えるに、ハッブル宇宙望遠鏡で撮影した宇宙の写真が主役の映画かと思い、写真集でお馴染みのあの天体写真をどうスクリーン上で見せるのかな、と興味津々で見に行ったのである。確かにそれに類した動画が含まれていた。しかし主役はハッブルの修理をする宇宙飛行士であった。
難しそうな題名の本ではあるが、歌う生物学者として高名な著者の書いた新書であるから読みにくい本であるはずがなかった。あとがきによるとこの本はNHK第二放送で流された講演番組の原稿を元に活字にしたものだそうだ。
隅から隅まで面白く大変ためになる本であったけれども、一番印象に残ったのは生物学的に見た人間の寿命についての話だった。ゾウもネズミも心臓が15億回打つとみんな死ぬ。人間で言うと41歳で15億回なのだそうだ。現に江戸時代の人の寿命は40歳台だったとのこと。その人間の寿命がこの60年で1.6倍にまで伸びたのはひとえに人間の技術の賜物だそうだ。決して人間が昔より丈夫になったわけではない。医療技術、食料生産技術などの進歩により寿命が伸びたのである。だから生物的寿命を過ぎたあとの人生は人工生命体としての人生なのだと言える。
老年期をどのような心構えで生きていくのが、生物としての賞味期限を過ぎても生き続ける人類にふさわしいのか、に関する著者の考え方も頷かされるところが多かった。
ためになったこと、大変参考になったことは山ほどあるので、興味を持たれた方は一読することをお勧めする。
仕える藩の汚職を告発して腹を切った武士の息子が心優しい養父母に育てられたあと、小石川の養生所の医師となり、周囲の心強い人々に支えられながら成長していく話。爽やかな読後感を与えてくれた。人間の善意を信じたくなる筋立てである。
話がうますぎるという感想も持った。
読み終えた日の日経朝刊に掲載された「卑小な人間の偉大なる精神」と題された丸山健二の評論を読み、余計にそう感じたのかもしれない。「この国の人々は、あまりに子ども染みた、憧れいっぱい夢いっぱいのナルシシズム一辺倒の作品をよしとして、読み、書き、、編んでいるのか・・・・」という丸山健二の言葉にこの小説が当てはまるのかどうか、この小説を読んでいい気持ちになっている読者としての私は正しい審美眼を持って読んでいるのだろうか、等々。まあ当座のところは自分の感じかたを信じるしかないと割りきっておくこととする。いずれこういう大きな事を言う丸山健二の著作も読んでみなければいけないなと思う。
シネコンのポスターが目に留まり、「ウォーターボーイズ」、「スウィングガールズ」の監督が撮った映画なら面白いだろうと考え見に行ってきた。「ウォーターボーイズ」も「スウィングガールズ」も面白そうだと思いながら見逃してしまっていたのである。
見終わってからシネコンの入っているショッピングセンターを歩いたら、周りの風景がまるで主人公の目を通して自分の目に入ってきているかのような錯覚を覚えた。歳はだいぶ違うけれども、主人公の境遇に共感するところがあったからそうなったような気がする。
ストーリーはお伽話のような筋。しかしこういう現実離れした話は好きである。映画はあまりリアルでシビアな内容であるより、つくり話というのがみえみえでも、夢がスクリーン上に描かれているほうが楽しい。
初めのうちセリフやカットの間に不自然さを感じる部分があったが、じきに慣れた。
傑作じゃないだろうけど、楽しく見終えることができた。
僅かな時間帯を除いてシリアがコントロールし続けた試合だった。であるから敗戦という結果は甘受すべき結果であると思う。
コロコロ転がるボールはイレギュラーな弾み方をし、浮き球で繋ごうとすれば地に落ちたボールはまるでコンクリート上で試合しているようにポーンと弾む。日本代表チームはそういうボールの処理に手を焼き組織的な攻撃を展開することができなかった。後方から一気に長いパスを前線に通しグランドの粗さを克服しようとしていたように見えたが、長いパスはあまり繋がらなかったし、繋がったとしても受けてのボール処理が不的確でスピーディーな攻撃に繋がらなかった。
しかし相手はそんなグランドにフィットしたサッカーをできていた。これが勝負の分かれ道だったと思う。
ヨーロッパでプレーしている選手を呼べなかった、主力選手が怪我をして出られなかった、などなど、言いたいことはあるだろうけど、あのようなグランドでするのもサッカーなのであるから、力を出し切れなかったことをグランドのせいにしていたら、ヨーロッパやJリーグのホームグランドでしか自分たちのサッカーはできないと認めることになるだけだろう。
ロンドンオリンピックに出場できなくなる可能性が出てきたわけである。
是非ともオリンピックで世界の強豪と競い合う姿を見たいので、今後の成り行きに一層注目したい。
開通間近の東京ゲートブリッジを渡るイベントに参加してきた。
橋の欄干が視界を遮っており肝心な部分は写せなかった。
この時期これ以上は無理、というほど良い天候に恵まれ面白かった。
しかし開通すると自転車は締め出される。
レインボーブリッジも東京港トンネルも自転車は通れない。
湾岸臨海部からサイクリストが品川・羽田方面に走ろうとすると、どうしても
隅田川を渡らなければならないのである。
自動車と共存するのは誠に難しい自転車ではあるが、ゲートブリッジの
素晴らしい眺望を見てしまうと、締め出されることがどうしても割り切れない。
今日はバスで錦糸町に行き、そこから歩いて亀戸天神の梅を見に行った。
ここでは3本の株で紅梅がちらほら咲き始めていた。浜離宮より一歩進んでいる感じ。
70-300mmの重いズームレンズをオリンパスE-520に付けて行ったので、ファインダーの視界がぐらぐら揺れて撮りにくかった。1mくらい離れたところから撮影。それでも持参したコンデジで5cmの距離から近接撮影した写真より背景がボケるので、すっきり撮れて良い。
せっかく望遠ズームを付けて来たのだからと、スカイツリーの展望台部分を大写ししてみた。
今回は船橋屋の葛餅の誘惑に負けることなく亀戸駅に歩いた。
蔵前橋通りと明治通りの交差点で昔風の煎豆問屋の前を通り掛かり、美味しそうな砂糖大豆を購入した。一合枡の量り売りで一合当り200円。今もそれを食べながら書いているのだが、とってもおいしいです^^
今日は昼を広尾の太楼でスーラータンメンを食べた。うまい上に、サービス券があるので、餃子3個のおまけが付くのも嬉しい。汗かきなのでびしょびしょになってしまったが満足した。
食後はちょっと裏の方を探検してみようと有栖川公園を登り、静かだが特に何の変哲もない高台を歩いた。街角の地図に有名校麻布の中高校があったので寄ってみた。何か入試の関係なのだろう、大人の出入りが多いので中を覗いてみると、掲示板に入試問題が掲載されているようだった。何でこのくらいで大人が集まるのか分からなかったが、どうでもいいので先に進んだ。しばらく行くと行く手に六本木ヒルズが見えてきた。そう言えば、家を出る前、気が向いたら森ビルで開催されている歌川国芳展に寄ろうと思ったことを思い出した。
こんな訳で1500円の入場料を払い展示スペースに入ったのである。
会場は平日にもかかわらず混んでいた。陳列されている絵の前には(一重ではあったが)人垣ができていて、最初の絵を見るのに何十秒か待たされる雰囲気だった。こんな時には順路の一番奥に行くと意外に空いていることがあるので行ってみたら、そこまでもずっと混んでいるのだった。しかしその移動により、展示されている点数が予期していたよりずっと多いことを発見。これをあの行列に並んで見て回るのなど我慢出来ないことなので、人垣の後ろから覗いて回ることにした。しかし絵の表題が見えない。絵も小さいのでよく見えない。結局人垣に埋没して回ることとなった。
絵を見た感想。絵は面白かった。特に伝説を絵画化したものに迫力を感じた。それから素人女が布地を持っている絵も珍しい美人画?だと思った。
しかし浮世絵はこうして展覧会で見てもあまり楽しくないなとも思った。元々が雑誌のグラビアとか草紙に使われたのだろうから、手に持って見るか、せいぜい自宅の壁に貼って見るものだろう。何年か前の北斎展でも思ったことだが、やはり小さいのである。作り手の想定した見られ方ではないのだと思う。
であるから、会場の出口の土産店で、新しく刷った版画を買って帰る方が良いのかもしれない。これなら展示されているもののように色落ちしていないし。