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2012年3月14日 (水)

石原慎太郎 「新・堕落論」 新潮新書

大震災のあと「これは『天罰』ではなかろうか」と発言し顰蹙を買った筆者がその後出版した本なので、いい機会だと思い読んだ。これまでも「えっ!?」と思うような衝撃発言を繰り返してきた著者の本を読んだこともないし、おっしゃっていることをきちんと聞いたこともないので、この方に投票した者ではないにしても自分が属す自治体の知事の考え方に触れるのは良いことだと思ったからである。

本は2章構成で、第1章は文藝春秋2010年12月号に掲載された「日本堕落論 このままでは日本は沈む」、第2章は同2005年5月号の「仮想と虚妄の時代 援助交際と純愛」、と既出の文章に大幅に加筆、改稿したものだとのこと。第1章では主に国のこれからの進み方について、第2章ではウェブ社会の広まりに伴い顕になってきた自己喪失と我欲の広がりについて、著者の憂国の情が展開されているように読めた。特に第1章は「自分の遺書として書いた」と断りが入れられているように、切々としたものが感じられた。

読後感想として「読んで良かった」と思った。散文調であちこちエピソードが飛びながら進んでいくことに読み始めは戸惑ったが、慣れた。しかしながら「です・ます調」と「だ・である調」が交互に出てくる文体には最後まで不快感を持たざるを得なかった。これを除けば、難しい用語が羅列されることもなく、何が言いたいのかが分かる文章だった。並べて書くのはちょっとおかしいかもしれないが、丸山眞男や小林秀雄の文章のようにある一定の勉強を積んだ人にしか理解出来ないものではないし、ちょっと難しいなあと思うような部分には著者が親切に解説を入れてくれていた。

「~とすべきです。それをはばむ論があるならそれを淘汰して進むのだ。」という表現が出てきた時は、さすがにびっくりすると同時に「先を読み進むのが大変そうだな」と気が重くなったけど、このやり方が延々と述べられるような部分は他になかった。随分乱暴な言い方だなとは思うものの、リーダーたるものは自分が信じる論を実現しようと思ったら、相手を蹴散らしてでも実現せねばならないこともあるのだろうなと感じたのだった。多数決の原則における少数意見の尊重との兼ね合いはどうなんだろう、ということに頭は向かざるを得なかった。

いろいろ物議をかもす発言の多い方ではあるけど、「知らしむべからず」として大事な問題を表に出さないうちに権力が推進してきたこれまでの歴史を考えると、「お前らこんなことも分からないのか」というような調子であっても、はっきり主張していただけるのはありがたいことのように思う。原子力利用の推進にしろ、近頃の裁判員制度の導入にしろ、国民に直接影響を与える重大な事柄が、多数派によって半ば暗黙裏に進められてきたことをとても不愉快に思っているからである。毛嫌いせず主張に耳を傾け、じゃあ自分はどう考えるのか、どんな党派を支持するのか、を考えたらいいと思う。

ここで残念に思うのは、重要な問題に関し選択肢が提供されていないことである。選挙で不利になりそうでも将来に禍根を残さぬために必要な政策がある。それを推進しようとすると党内から人気取りの分派行動が出る。野党の中にも単なる反対ではなく建設的に議論しようとする議員が居るのだが、党としては結果として揚げ足取りに終始してしまっている。解散・選挙より政界再編のほうが先に必要なのかもしれない。そして何より、右肩下がりの国で生活していかざるを得ない選挙民の自覚と覚悟が要請されていると思う。

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