書籍・雑誌

2017年3月22日 (水)

侮日論 呉善花著 文春新書

ぼんやりしていて、感想を書いている別のブログの記事をこちらで掲載してしまいました。内容は別のブログに転載しましたので、もし興味をお持ちでしたらAMEBAブログのほうをご覧ください。

| | コメント (0)

2012年12月 1日 (土)

大相撲のぶっちゃけ話 曙太郎著 宝島社

曙が大相撲の世界を去ってから随分経つが、関取をしていた当時どのようなことを考えて相撲に取り組んでいたのかが良く分かった。私は何年前だったか、大晦日にこてんぱんにされたのをテレビで見たのが最後だったので、その後どうしてるのだろうかと案じていたが、この本を読むといかにも元気そうでほっとした。

入門時同期だった若貴兄弟とこれほどまでにライバル心を燃やしていたことにびっくりさせられた。曙は熱き闘争心、競争心を心の支えに頑張っていたのだ。

読む前、暴露話の本かもしれないと思ったけれども、読んでみると大相撲を愛する者の舞台裏話であった。興味深く、面白く読ませていただいた。

| | コメント (0)

2012年11月26日 (月)

「動的平衡2」 福岡伸一著 木楽舎

前著「動的平衡」では個体レベル・細胞レベルでの絶え間ない破壊と再生の平衡が主に語られていたと思うが(読んだのだが当時私には感想を書き残す習慣がなかった)、この本ではそれに加え、地球環境、食物連鎖など生物を取り囲む世界にも動的平衡の話が拡大されていたように思う。

副題の「生命は自由になれるのか」という問い掛けはエピジェネティックスに関連している。生物は遺伝子に規定されている、というのがこれまで広く信じられてきた考え方であるが、遺伝子情報以外にも子孫に伝わっているものがあるのではないか、ということを考えるのがエピジェネティックスの考え方だそうだ。卵環境は子孫に受け継がれる、というサブパラグラフにその考え方が紹介されている。福岡先生が考えるに、遺伝子情報というのは音楽で言えば楽譜である。楽譜は同じでも演奏者により奏でられる音楽はがらっと変わり得るように、生命は遺伝情報にすべて縛られるものではないのではないかとのこと。

この本を読んで一番印象に残ったのは、地球上の生命はすべてヌクレオチド三文字の遺伝情報でアミノ酸を生成しており、そのことから数百万とも数千万とも言われる生物の多様性が、すべて単一の生命の起源から出発した進化の産物であると考えられるのだ、との部分である。これを私は知らなかった。

読み進んでいて章が進むと前の章との関連が分からず戸惑うことがままあったが、本の最後に、この本は著者が前に雑誌・新聞に発表した原稿に加筆、修正の上再構成したものであることが書かれていて腑に落ちた。

これからも福岡先生が出す本は必ず読んでいきたい。

| | コメント (0)

2012年11月13日 (火)

「町の忘れもの」 なぎら健壱著 ちくま新書

いつの間にか街から消えてしまったものを街歩きで探し、著者の写真とともに2ページずつの文章で紹介している。探検された街は東京下町が中心。貸本屋、コッペパン、で書き始められているテーマを見れば容易に想像される内容の本だ。

こんなに短い文章だと新書一冊分をまとめて読んだら飽きるのではないだろうか、と思いつつ読み進んだが、各アイテムをその都度新鮮に楽しむことができた。これだけの数の懐かしアイテムを写真で集めるのはさぞや大変だったろうと思う。

一つひとつの章が2ページと短いのは簡潔で嬉しい面が大きかったけれども、簡単すぎて物足りないとも感じられた。

| | コメント (0)

2012年10月25日 (木)

「オーケストラ再入門」 小沼純一著 平凡社新書

読んでいてなかなか面白くならないので辛抱して読み進む。
副題に「シンフォニーから雅楽、ガムラン、YMOまで」とあるので、多岐にわたる合奏集団のことを多文化な視点からそれぞれの魅力を伝えてもらえることを期待して読んだのだが、基本的に西欧のいわゆるオーケストラのことが中心であったように思えた。雅楽、ガムランについての紹介は平板な印象だった。その中でジャズ関連の「オーケストラ」に関する部分は比較的量が多かったし、「へえーそうだったのか」と感じる箇所も多かった。ジャズバンドの発展、衰退の歴史を辿るのには参考になる本だろう。

最終章の「オーケストラの未来」でようやく、著者が何が言いたくてこの本を書いたのかが少し分かったように思えた。特に西欧のオーケストラのレパートリーが19世紀から20世紀半ばの作品に偏っており、このままでは将来どうなってしまうのかと著者が心配なさっているのを読むと、現代音楽には共感を覚えない私のような人間も少し考えなければいけないのかなと考えさせられた。

| | コメント (0)

2012年10月15日 (月)

「イスラームから世界を見る」 内藤正典著 ちくまプリマー新書

信徒ではない社会学博士で現代イスラーム地域研究者である著者が、イスラームの立場から見た近頃のイスラムと西欧の衝突を解説してくれている本。トルコ語ができる著者がトルコ人の生の意見を挟みながら、西欧から見ると「遅れている」「好戦的に見える」「女性差別的に見える」イスラムの人たちの考え方の基本を、歴史を振り返りながら、チュニジア、エジプト、イラン、シリア、アフガニスタンなどを、それぞれの地域事情の説明とともに分かりやすく解説してくれている。

それぞれに複雑な歴史背景があるので簡単には読み進めなかったが、元来複雑である中東事情を少し踏み込んで理解しようとすれば、このくらいの面倒臭さは我慢しなければならないのだろう。

著者によればイスラーム教はもともとが商業を重んじる、他教との共存を重んじる宗教であり、過激なテロを繰り返す集団は異端であるそうだ。そのような異端者に対する一般のイスラームの心持ちは、虐めにいじめられ抜いた果てに報復的に極悪犯罪を犯してしまった者に対し、「そりゃあしちゃいけないことだよな。気持ちは分かるけど」と思うのと同じであるようだ。

国家を超越する教えであるイスラム教と国境で仕切られた国々の関係性、イスラム教よりずっと排他的で好戦的だった西欧キリスト教国の問題、と、他にも読んでとてもためになった本であった。

| | コメント (0)

2012年9月19日 (水)

「弱い日本の強い円」 佐々木融著 日経プレミアシリーズ

新聞広告から本の存在を知って是非とも読んでみたくなり、幸いにも図書館に所蔵があったのでさっそく予約したのだが、順番が回ってきたのはたぶん半年から10ヶ月経った後だった。誰もが知りたい外国為替市場の、出版当時最新の解説として、人気が高かったのは当然だろう。

出版からそれだけ時間が経過して読んだにもかかわらず、もう古いんじゃないのと思うような内容では全くなかった。これはありがたいことだった。出版業界の方々には申し訳ないが、本が出てすぐに買わないと内容がタイムリーではなくなってしまう、という類の本ではなかったからである。為替相場の基調が出版当時と現在でさほど変わっていないということかもしれない。

さて読み易さであるが、最初に「あれっ、よく分からないぞ」と思ったところですかさず、「この話は若干複雑なので、理解できなければ、そのまま先に進んで頂いても為替相場の基本的な理解に影響はない。」と書かれていたのに接し大いに気を良くした。しかし次の分からないところから以降はノーフォローだった。少なくともチャートを示しながら丁寧に解説を心掛けていただいていることが重々理解できたものの、金融界では常識なのだろうことであっても、何を言っているのか分からないところが多々あった。やはり素人には無理か。図書館の返却期限も迫ってきているし、もうギブアップするか、と思うこと数度。しかし読み終えてみると著者の言いたいあらすじはよく理解できたように思えた。途中のモヤモヤっと分からない部分は、読者の知識レベルに合わせ流し読みしても問題無さそうである。

日本は弱体化しているのだから円が為替相場で安くなるのが当り前だろう、と私は考えていたのだが、少なくとも今の局面で、そういう理屈で相場が決まっているのではない、ということがよーく分かった。いやー、いい勉強になりました。

| | コメント (0)

2012年9月16日 (日)

「大陸へ」 リービ英雄著 岩波書店

副題を「アメリカと中国の現在を日本語で書く」としている。

読み応えがあった。
母国であるアメリカでは人種問題を、もうひとつの「大陸」にある中国では富裕化する都市層から経済的に取り残される農民層を、著者が動き回りながら体験した驚きを中心に綴っており、優れたルポルタージュだと思いながら読ませていただいた。「こんなことがいまだに行われているのか」という著者の驚きは、そのまま私の驚きと憤りにもなった。最後の章では深入りしすぎて危ない目に遭うことになり、はらはらドキドキもさせられた。

新聞で紹介された著者の記事で関心を持ち、「星条旗の聞こえない部屋」、「千々にくだけて」、「英語でよむ万葉集」と読んできて深まってきた著者自身に対する関心にも、在米当時の著者の回想を通じてたくさんの情報を追加することができ、次の著作が待ち遠しく思えるようになった。

| | コメント (0)

2012年9月 5日 (水)

「ケータイ化する日本語」 佐藤健二著 大修館書店

読み進むのが大変な本だった。日経の書評で存在を知り図書館に予約して読むことが可能になった本なのだが、図書館の返却期限である2週間で読み終えるため、随分頑張って読み進んだ感じである。平々凡々たる私の頭には少々専門的、学術的過ぎる本だったようだ。特に最初の3分の1くらいは、読むのを諦めようか、続けようか、迷いながらの読書であった。哲学書が用語を吟味し定義し、先の本論に備えている。そんな趣きの書き出しに見えた。二・三行の短い文章でも何を述べているのか良く理解できず数回読み直し、それでも分からず諦めてとりあえず前に進む、という有り様であったから、読んで理解できたとはとても言えない。それでもどなたかの参考になれば、と思って感想を書いている。

苦闘しながらも3分の1を過ぎると、電話が生活に入ってくるに連れどんなことが起こったのか、生活がどう変わったのか、という説明に進み、私の自らの体験を著者の解説に従って再体験することとなって、楽しく読めるようになった。我が家だけでなく、よそでもそんなことが一般的だったのか、と感心させられた。

人が二本足歩行を始めてから口が自由になり言葉を獲得する、というようなところから書き起こし、電話の発明後の言語生活にどういうことが起こったか、ケータイでどういう言語状況が生まれ、人の生活が変わっていっているのか、が丁寧に分析されていたと思う。

しかしながら、関係する文章からの引用を読むにつけ、この本は社会学、コミュニケーション論などを専門とする人が議論を交わすための資料・参考書・論文なのではないか、と思うのだった。途中から面白くなったと思ったものの、結びに入ってからはまたよく分からなくなって読了となった。

図書館で借りられたからこういう「勉強」にもチャレンジできたのであって、買うかと言われると、恐らく本屋の店頭でページを捲ってから諦める、そういうレベルの書籍だったように思う。

| | コメント (0)

2012年9月 3日 (月)

日本一心を揺るがす新聞の社説 2 水谷もりひと著 ごま書房新社

このシリーズの前編(同じタイトルの一冊目の本)に比べると、胸キュンになる回数が格段に少なかった。筆者が目にしたいい記事の紹介が主だった前回に比べ、筆者の世界観が中心に据えられたものが多かったからではないかと思う。もちろんぐっと胸に迫ってくる話も数編あったのだが、、、、

| | コメント (0)

より以前の記事一覧